農村と私 1.老人の話


 
美しい里山の寒村に訪れた私は、紅葉を楽しみながら、田園の道を歩いた。ローカル線の駅の売店で買ったまんじゅうを頬張り、私は村の神社の前を通り過ぎようとした。ふと思って、古い朱色の鳥居をくぐり、小さな神社の賽銭箱に小銭を幾らか入れると、ぱんぱん手を合わせた。そのままぶらぶらと道へ戻り、やがて舗装もされてない泥道に出くわしたが、ひるまず私は田舎道を歩いた。 

 しばらく坂道が続いたので、少し閉口しながら、自然の道の枯草をぱりぱり踏みながら進むと、灰色の雲の切れ間から差し込む太陽のヒカリの下にひろがる小さな湖に出た。今度はやれやれと下りになった坂道を降りて行くと、みかん畑から望む湖の水辺に黒っぽいTシャツとジーパン姿の若い女の子が、ジーパンの裾をまくって、水に足を入れる。そうすると水面にゆっくり波紋が広がる。


 「やぁ、こんにちは」

 私は女の子に向かって帽子を取って、会釈した。女の子はフッと笑顔を見せて、両足を水面につけて、「やあ」と手をあげた。黒い雲から吹いた風で湖の水面がきらきらと静かに波打ち、女の子の肩までの黒髪がさわさわと揺れる。黒いTシャツが身体に貼り付く様にはためいて、胸の豊満さを語っていたが、むしろ健康的な若者の様に見えた。私はそこへ胡坐を掻いて座ると、しばらく禁煙していた煙草を取り出し腕を組んで、湖の女の子と煙草の箱のバランスをとって眺めた。それをカメラワークの手枠を作りながら見ていると、手枠の中に女の子が水を切って歩いて来て、私の前に立った。

 「おじさん。それ一本くれる?」

 「ああ、ええよ」

 
煙草に火を着けてうまそうに吸い始めた女の子は、フーッと煙を吐き出して、改めて私を見た。


 
「アタシ、小松菜 足華(こまつな あしか)。この村は何もないよ。まー色々あるだろうから、何をしに来たのかなんて訊きはしないけれど、見たところ行く当てもなさそうだ。よかったらアタシの家へ来るかい? 茶くらいは入れてあげるよ」

 「ハッハッハ! おもしろいお嬢さんだ。私は、さざれ 護摩(ごま)と言うんだ。護摩で良いよ」

 「じゃ、よろしく護摩さん。着いておいで」

 私と小松菜 足華は、湖の崖の上の一本松の小屋に向かって歩き始めた。



農村と私 2.娘の話


 チッチッチと鈴虫が鳴く夜が明けようとする頃、私は小屋の扉を開けて厠(かわや)へ急ぐ。和式の便所で用を足していると、正面の棚の上に灰皿が置いてあり、何本か吸殻が突っ込んであった。明り取りの窓から、裏の一本松が見え、さやさやと風に揺れていた。暑かった夏も終わり、山々も紅葉の時節を迎え、村も収穫の時期で、足華がおじいさんの代から受け継いだ畑の稲も、秋色に染まっていた。

 
小屋に戻ると、足華ももう起きていて、白いTシャツにホットパンツ姿で、煙草を吸いながら台所に立っていた。

 「おはよう! 良く寝れたかぃ? うちはゴハンに納豆と玉子焼きだけど、許しておくれよ」

 「ああ、ええよ。何でも」

 私はたたみの上のちゃぶ台に着くと、急須に魔法瓶から湯を入れ、お茶っぱを缶からひとふりし、湯飲みを並べた。足華がお盆におひつと茶碗をのせて、ちゃぶ台に並べる。朝ゴハンは村で採れたお米と、足華の小屋のにわとりが朝いちばんに産んだ卵を焼いた玉子焼きに納豆だった。それと具のたくさん入ったみそ汁が付いていた。

 「いただきます」

 「はい。頂いて下さい」

 私と足華は、白樺の林立する森の中を歩いた。木の梢から薄青い小鳥が飛び立つ。足華は水虫で悩んでおり、時折靴下を脱いで、足の指の辺りをかゆそうに掻くのを、私はまた笑ってしまった。

 「池のきれいな水で洗うと良いよ」

と、私が言うと、足華は何の恥じらいもなく裸になって、池の中へ入っていった。

 「ひゃーッ! 冷たーぃ!」

 「ハッハッハ!」 

 私はまたしても笑ってしまった。

  
 私が足華にお茶を入れてあげると、足華は煙草を灰皿でもみ消し、髪をかきあげながら座布団に胡坐をかいて座る。

 「お茶おいしいよ。護摩さん」

 私は畳の上に落ちているちぢれ毛を摘まむと、ゴミ箱にほかる。

 「それ良かった。みかんも食べるかい? さっき下の畑で採って来たんだ」

 「あれはうちの畑じゃないよ、護摩さん」

 「まー、良いじゃないの」

 私はみかんの一房の筋を取って口に入れた。庭の梅の木は花をつけていないが、小鳥が止まると枝が軽く揺れて、それを微笑ましく見ていたら、足華が近くに寄って来て、煙草の残り香と柑橘系の口臭をさせる。

 「アタシ、熱ないかな?」


 
「さっき冷たい水に浸かったから身体が冷えたんじゃよ。温ったかいお湯に浸かると良いよ」

 
「あーそうだね。お風呂沸かすわ」

 
とたとた足華は風呂を入れに行った。



農村と私 3.裸のつきあい


 裏の一本松が風でさやさやと揺れる夕刻。風呂が沸く間、足華は縁側で足の指のあいだをぽりぽり掻いている。

 「不潔にしていると足も匂うし、清潔を保つと不快な水虫になる事もないと思うが、いかんせん難しいもんだな」

 足華はつまらない事を言うもんだと私を笑った。

 「風呂に入るけど、護摩さんも一緒に入るかぃ?」

 「ああ、そうさせてもらうよ」

 足華はブラジャーをしないので、シャツを脱ぐと、豊満なバストがすぐ露わになった。下着も脱ぎ捨ててしまうと、ちょっと黒ずんだ股の部分の汚れが足華の女の部分を感じさせる。私は、身体も洗わず湯船に浸かる足華に続いた。

 「ああ~、良い気持ちだよ、護摩さん」

 足華の肌は少し脂っぽくて、背中など吹き出物があったりする。私は、足華の背中を流してやり、身体をきれいにしてあげることで、汚れた私のココロも、きれいになっていく感じがした。私は、足華の足の指のあいだを石けんで良く洗ってやり、掻き過ぎて少し切れていたので、風呂上りに良く乾かし、オロナイン軟膏を塗ってあげた。

 バスタオルで髪を拭きながらくしゃみをした足華は、冷蔵庫から牛乳瓶を取り出し、喉を鳴らしてゴクゴク飲んだ。

 「私はくしゃみをしたあとのツバキの匂いってわりと好きなんだ。だって、ちょっとエロいでしょ?」

 足華は、口の周りの白くなった牛乳の跡を腕で拭きながら、

 「じゃ、嗅ぐ?」

 と足華は笑った。

 「護摩さん、もしかして誘ってる?」

 「いや~、お手合わせ願えるかの。あんたはとても魅力的だよ」

 「いいよ」

 足華は裸のまま私の手を引っ張って、廊下をシタシタ歩いた。狭い廊下の床の板が歩く度にきしんで、風呂上りの足の裏にひんやり当たる。少し濡れた手のひらで、足華を知覚する。すると足華はすぐ反応を見せ、私たちはそのまま廊下で致してしまった。老いたとはいえ、このような状況には、私の男である部分は屈強で、そこだけはまだまだいけるなとつまらない事を考えながら、足華に触れた。

 夜は更けていき、足華が布団で眠る頃、私はリュックからモバイルパソコンを取り出し、座卓の上で開き、ブログを更新した。そこには村の話や足華や私の話が書いてある。電気スタンドの明かりの下、振り向くとまだあどけなさの残る足華が息で胸を静かに上気させ、その寝姿が私のこころを和ませる。私はパソコンの電源を落とすとリュックにしまい、そっと明かりを消して、そのまま縁側に腰を降ろし、硝子戸越しに見える空に浮かぶ月と庭の柿の木を眺めた。

 "この村に来て良かった。何も持ってなくて良い。それが『農村』という事だから

 私は、私の心にそう誓った。



最終回 『農村と私』


 ある冬の朝、私は洗面で顔を洗い、朝ゴハンの支度をする。パンと目玉焼き、サラダをテーブルに並べて新聞を広げる。3面記事には目を背けたくなるような殺人事件や、増税の話などが書かれている。朝陽は東の窓から私の顔を照らし、用を足しに新聞を持ったままトイレに座る。今日は中の上だったのですっきりした。

 それからおもむろに背広を来て、ネクタイをして帽子を被り、リュックを背負った。冷たい鉄製のドアを閉め、カギをかけると階段を下りて、通勤や通学する学生さんたちに交じり、駅へ向かって歩く。私の前を歩く制服を着た高校生がたのしそうにともだち同士でおしゃべりしながら歩いている。踏切の前に立ったら、高校生たちはもう踏切を超えて、駅のロータリーの方へすたすた歩いて行く。

 カンカンカンカン。カンカンカン。

 私の足が動く。

 カンカンカン。カンカンカン。

 えらく遠くの方で遮断器の音が鳴ってるような気がするのと、ハッとなったら目の前を物凄い勢いで電車が走って行く。

 「はぁ、はぁ……

 私はそこで尻もちをついていて脂汗を掻いていた。

 「大丈夫ですか?」

 太めの紳士に声を掛けられ、びっくりする。相手も驚いた様子で私を見る。手を貸して貰い立ち上がると、紳士に礼を言い再び駅を目差す。

 会社では、書類を片付け、えっちらおっちらパソコンでデータを打ち込み、時折PC用の眼鏡を外し、目尻を抑え、目薬を取り出し差す。同僚の女の子がお茶を入れてくれたのでうれしかった。私はまたたかたかパソコンのキーボードを叩いた。

 へとへとになりながら、再び電車に乗ると、これまた混雑しており、揺れる電車の中で隣のおばさんの香水の匂いに閉口しながら、窓の外を見ていると、おばさんのとなりの反対側に若い女の子が窓の硝子に映っている。女の子もあまりの混み具合にまいったという顔をしている。

 「あれっ! 護摩さん!」

 「おッ! あんたは!?」

 ニヒヒヒと笑う『小松菜 足華』は、相変わらず土臭くて、健康な田舎の匂いがした。



                                     ~おしまい~



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