もずの声 1

 

 その鉄塔から四方に高圧線が伸びていて、犀原 洲留(さいばら する)がそれを見上げる様にしていると、周囲のススキの穂が風でゆさゆさと揺れる。胡坐をかいて座る洲留の横には、葉の落ちた桑の木が立っており、その桑の木の周りを枯れたつる草がぐるぐると絡んでいた。その空間をただ風が吹いていた。

 

 「ねぇ、煙草貰って良いかな?」

 

 洲留は、美春 直進(みはる ちょくしん)の胸のポケットからボックスの煙草の箱を抜き取ると、一本取り出し、乾いて少しひび割れた唇で咥え、美春のオイルライターで火を付けた。洲留の唇はちょっと切れてて、煙草の煙を鼻の穴からフーと出して唇から離すと、白い煙草の紙に赤い血が付着していた。

 

 青いパーカーの下の肉付きの良い身体は、洲留も健康を自負していたが、どこかけだるい様な彼女のイメージは、逆に粗忽ない色気を有しており、そこが美春が惹かれる点であった。美春は男にしては細身で、その女性的な姿と、直進という名の通り、心も真っすぐな青年である。2人共成人しており、それぞれ仕事も持っている。この場所には、黒い鉄塔と桑の木があるだけで、後は草が生えているだけである。

 

 「俺さ、お前のそういうとこ好きだよ。つまんなそうに空や鉄塔眺めてるだけなんて、おもしろいじゃないか」

 

 「別に意味はないんだけどね。きみもわりとおもしろいよ。あたしは、一度死んだ人間だから、この場所と同化できるのかもね。そう思うのって、心が腐ってるのかなあ?」

 

 桑の木にもずが止まり、きききと独特の声で鳴いている。洲留は有刺鉄線で引っ掛けた腕の傷を舌でぺろりと舐めた。有刺鉄線は何の為に張られているのかわからないが、土に打ち込まれた杭にへばりつく様にして錆びつき、朽ち果てている。それらの荒涼とした風景は、洲留の心として映るのならば、美春にはちょっとわかる様な気もした。その中で、相変わらずもずがキキキと鳴いていた。



もずの声 2

 

 町のネオンが灯る頃。洲留(する)はコンビニの仕事を終え、駅前から市バスに乗り、携帯にイヤーレシーバのジャックを入れると、ジャズが流れた。外の景色を眺めると、家路を急ぐ人達や、車、バスやタクシーが走っている。バスの中はそこそこ混んでおり、おじさん、おばさんから高校生まで混在している。

 

 「お母さん、ただいま」

 

 「お帰り、洲留。もうすぐゴハン出来るよ」

 

 母親の梢(こずえ)は、台所でエプロンで手を拭き、テーブルに食器を並べている。洲留の家は古い公団の団地で、家族は母親との2人暮らし。

 

 「あ、まーちゃん? あたし明日行けないから。うん、ごめん。また遊ぼうね。じゃあ」

 

 真紀子に電話をかけて、着替えをする。ベッドの上に脱いだ服をぽんぽん放ると、ゆったりした部屋着に着替える。母親の作った夕飯を食べると、風呂に入り、石けんで身体を洗い、湯舟に浸かる。風呂あがりに、アイスを食べながらコタツに入り、テレビを見る。

 

 『下着は脱ぎ散らかしたままか。だらしないな』

 

 洲留は、その『声』にビクッとした。梢は台所で食器を洗っている。梢の声ではない男の声。現実なのか? うつつの声なのか? 声の主は姿を見せない。現実が仮想現実に反転する様に、妖しの者の黒い影の存在感は、いつもの日常の場を変容させようとしていた。

 

 (……前から思ってたんだけど、あなた誰?)

 

 『……

 

 (……誰なの? 美春?)

 

 気が付くと、周辺の様子は変わっていて、梢の姿もなく、コタツに入ったまま、山の中の森の泉の前にいた。森も泉も霧がかかっており、小鳥がきれいな声で鳴いている。森の向こうには、草原が広がっていて、草原と青い空のコントラストは幻想的ですらあった。

 

 「どこなの? ここ」

 

 洲留は、その風景に感嘆しながら、こたつでぼりぼりせんべいを食べた。海苔の風味が効いていて旨かった。

 

 朝が来て、太陽がのぼり、それでは宇宙は相変わらず運行していて、その中の天体である地球に住む人類の一人として朝を迎えた事に辟易しながらも、漬物と白いゴハンを食べ、家を出ると、玄関の前で煙草を吸ってる美春が居て、その顔を太陽のヒカリが照らしていく。

 

 「おす。ご機嫌いかが?」

 

 「煙草くれる?」

 

 アッハッハッハと笑いながら美春はセブンスターを取り出す。煙草にこだわりはないが、いつも美春から煙草をくすねている洲留は、これが一番慣れていた。洲留と美春の関係が、男女の比率ある正しい関係ならば、当然身体の関係もあるが、それ以上に二人を結び付けているものが、この煙草ではなかろうか? と美春 直進は思っている。




もずの声 3

 

 「ねぇ、美春。美春は花粉症なの?」

 

 「ん? ああ、花粉症だよ。毎年この季節になると、目はかゆいし、くしゃみや鼻水は出るし、大変だよ。洲留はどうだい?」

 

 美春の花粉症はどうでも良かったが、美春のマスクが気になる洲留だった。どうやって買ったのか? やはり薬局で並んで買ったのか? 美春に聞いてみたら、

 

 「ん? それゃ花粉症だからストックがあったわけ」

 

 「なーんだつまんない」

 

 美春は、携帯でバスの時間を確認している洲留をまじまじと見て、

 

 「……寝不足?」

 

 「まあ」

 

 「何かあった? ストレスとか」

 

 昨夜の事を美春に話したら、美春は真剣に聞いて、そういう病気もあるけれど、それとはちょっと違うみたいと言った。

 

 「あー、それはあたしも思った。病気かと思ったけど、確かにちょっと違うんだよね。何かやさしい声だった。あの山や草原には、現実にそこに居た様な感じがしたし、土や草の匂いがちゃんとしたもの」

 

 「フーン。不思議だねぇ。何かそれに意味があるのかもね」

 

 「どんな?」

 

 「さぁ?」

 

 洲留と美春は、カフェのテラスでコーヒーをたのしみながら、昨夜の話に夢中になった。

 

 「俺もその場所に行けないかな? 今夜、洲留の家に泊まっても良い?」

 

 「はぁ? まー別に今更そんな照れる関係でもないか。今夜は、あたしと寝るということだね?」

 

 「まーそうなるね。……だって、気になるじゃない?」

 

 そういう訳で、美春 直進は、洲留の家に泊まる事になった。美春は、梢の手料理をたのしんだ後、洲留の部屋でコンビニで買っておいたビールや、ポテチ、粗びきポークウィンナーで一杯やった後、風呂を頂き、パジャマに着替えた。

 

 「さー準備は良いぞ。コタツに入れば良い?」

 

 「あきれた人ね。良く人んちでくつろげるな」

 

 美春は、煙草が吸いたくなり、バルコニーへ出て、オイルライターで煙草に火を付けた。煙草の煙が夜の町の景色の向こうに吸い込まれ消えていく。洲留は、ドライヤーで髪を乾かしている。向かいのマンションの消火栓の赤いランプと洲留のオーディオの緑のLEDランプのヒカリが、曇ったガラス窓に反射している。バルコニーのプランターには、枯れた花の茎が風に揺れて居て、下の通りの車道をヘッドライトを付けた車が行き来している。美春は口に咥えていた煙草を携帯灰皿で揉み消し、部屋の中に入ろうとした。

 

 「……洲留!? ……なーんて」

 

 「……ああ?」

 

 洲留は、ビールの缶とウィンナーの空袋を片付けていた。部屋の中は、美春が吸ってた煙草の残り香と、ドライヤーの熱で焼けた髪の匂いが入り混じっていた。その時であった。何かが違っていた。日常とは違う仮想空間が発動していた!



もずの声 最終話

 

 当然現出したその亜空間は、異質だった。時間も空間も湾曲していて、美春が洲留に聞いていた話と全然違っていた。美春 直進は、黒い山の上空を飛んでいた。その下方を洲留が落ちて行く。

 

 「ああああーッ!!」

 

 「洲留!?」

 

 山が噴火したと思うと、噴火口から煙と共に、一つ目の巨人が現れ、巨人は聞いたことのない言語で、何か叫んでいた。マグマを流失させた山と荒涼とした大地は、この世のものとも思われなかった。

 

 ふたりはそのまま気を失い、美春 直進が目を覚ますと、草原の草の上に寝かされていた。美春が起き上がると、草原の中に一本だけ桑の木が立っている。

 

 「……ここは? 洲留?」

 

 高い空にはひばりが鳴いている。草原の丘の上に白いテーブルと椅子が設置されており、おじさんと洲留が腰かけている。美春は、セブンスターを取り出すと、オイルライターで火を付けた。

 

 「……私はこの世界が好きでね。きみたちが来ることは知っていた。私はきみたちの世界の人間ではないし、勿論、元々はあちらの住人だが、私もきみたち同様、この世界にお呼ばれしたんだ」

 

 「おじさんは生きてるの? 死んでるの?」

 

 洲留の問いかけに紳士は笑うだけだった。ただ美春 直進には、死と当価値な存在で、スーツ姿に帽子を被った姿は、高位な人物に映った。

 

 「私が生きてるかどうかなんて、そんな事はどうでもよろしい。私はここで生かされているし、何の迷いもなく暮らしている。私の声が聞こえるなら、きみたちもこの世界に選ばれた民なのだ」

 

 美春 直進は、洲留の肩をたたき、耳元で囁いた。

 

 「このじーさんイカレてるよ」

 

 「……おじさんは誰なんですか?」

 

 おじさんはニコニコしながら、白い髭を撫でていた。それから……

 

 「父親というものは、実につまらない存在でね。常に我が子の動性を見守っていなくてはならない。それが不幸なのか? 幸福なのか? 私にはわからないが、少なくとも、苦痛ではないところが、おもしろい事だと思うよ」

 

 草原にゆっくり朝陽が指して来て、一瞬吹いた風に洲留の髪がぱたぱたと揺れる。風が止むと、洲留は思い切って口を開いた。

 

 「……おじさんは、あたしのお父さん?」

 

 「……

 

 びょおおお……と風が吹いて、桑の木の枝が揺れた。おじさんはその様子を見ながらにこやかに、

 

 「……さあ、もう行きなさい」

 

 「待って!?……あれ? 美春! 起きて!」

 

 「えッ? あれ? あれ?」

 

 美春 直進と、洲留は、いつも見上げてる黒い鉄塔の下に居た。そこには桑の木が風に揺れて居て、鉄塔の高圧電線がキシキシと音を立てている。鉄塔の下のつる草の絡んだ有刺鉄線に、裸のままの洲留が、肌を針に裂かれながら、逆さに両腕を垂らしてぶら下がっていた。

 

 黒い鉄塔を見上げながら、美春 直進は、となりで煙草を吸っている『洲留』に、持っていた缶コーヒーを渡すと、ふたりで腰に手を当てて飲むのだった。

 

 

もずの声 ~おしまい~


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