魔女の刻印 1.淡いまぼろし

 『古いトンネルには気をつけろ』と謎の言葉を残して、霧田 重介(きりた じゅうすけ)は、神社の境内で黒いヤカンで殴られ殺された。私は、その意味を加味しつつも、ある仮説を立てて、この事件に望む事にした。村の神社に重介に呼び出された黒下 乃亜(くろもと のあ)は、まだ24才と若く、まずこの娘さんがいきなりヤカンで殴っただけで、大の男が死ぬ事があるだろうか? まあ、まずは話を聞いて見なければなるまい。

 「あなたが、さかさま広大先生ですか? お噂はかねがね伺っております。私はこれの祖父でございます」

 これと言われた黒下 乃亜は、心外そうに頬を膨らませて怒っていた。いかにも田舎の娘さんという感じの乃亜は、ちょっと太めの肉付きの良い身体に、ロングのストレートの髪は、ちょっと軽く茶色に染められていた。それに黒いセーターの首筋には、チェック柄のシャツが覗き、青っぽいジーンズにスニーカといういで立ちだ。

 「私は重介さんに呼び出されただけで、何もしていません。荒入(あらいり)さんが捕まったんでしょ? あの人が重介さんと神社で言い争っていたのなら、私は関係ないと思うんです」

 荒入 瑠夏(あらいり るか)さんというのは、村の小さな工場の事務員で、これまた26才とまだ若く、まじめな女性だと聞いている。地味な恰好を好む地味な女性が、言い争っていた挙句、ヤカンで大の男を力一杯殴ったとして、そんな事で殺害出来るとは思えない。が、彼女は警察で事情聴取を受けているという事である。言い争うくらいだから、地味でも本当は気性の荒い女性なのだろうか?


 私がこの村に来た時、昔の風習の残る古い村なのかな? と思ったが、確かに黒下家の屋敷は古いし、そこの祖父たる黒下 黒(くろもと こく)は、屋敷の主としては、それなりに風格のある人物だった。


 「あなたはなぜ重介さんに呼び出されたのですか?」

 「なんの用か言わなかったのですが、とにかく話があるから神社に来て欲しいと言われ、神社に行ったら、重介さんと荒入さんが言い争っていて、それを見た感じです」

 話を聞いてると、重介は、荒入 瑠夏の同僚で、町工場の作業員の重介は、ひそかに瑠夏を慕っていて、二人は結婚の約束までしていたらしい。しかし痴話げんかくらいで、瑠夏が人を殺すとは思えない。という事は後で駆け付けた人物である黒下 乃亜にも疑いの余地があるが、こちらもいきなり殺意を起こす様な人物には思えない。私の直感に頼るのも何だが、他にその場所に、誰かいたのでは? という考えがよぎる。



魔女の刻印 2.トンネル

 私は重介の残した謎の言葉『古いトンネルには気をつけろ』に着目していた。それはこの村に来る途中の国道のトンネルの事なのか? それとも村の何処かに古いトンネルがあるのかはわからないが、村の地図を見せて貰うと、トンネルらしきものは、存在しなかった。私は、村の郷土資料館に出かけ、村の旧道の地図がないか聞いて見たら、ドンピシャだったので、それを開いた。成程、いまの国道のトンネルは最近作られたもので、国道の旧道なるものが存在し、重介の言わんとする『古いトンネル』とは旧道のトンネルらしい。私はそこへ実際に行って見る事にした。


 いくつかの農道を通って、村に点在する屋敷や家などを通り過ぎ、村の郊外に出る。村は過疎が進んでおり、郊外の外も畑があるのだが、人手が足りないのか荒れ地になっている。私はその荒れ地の農道の脇のススキを一本折って、ぱたぱたさせながら歩いた。やがて遠くに国道が見え、国道だけにけっこう車やトラックの往来があるのがここからでも見て取れる。しかし、あそこまで歩くのかとやや閉口しながらも、手元の地図を見ると、あそこまでは行かず、旧道へは、目の前の分岐点で右へ行くらしい。私はそのまま右の脇道に逸れて歩いた。

 「先生、旧道へ行かれるんですってね。私詳しいんです。案内します」

 突然背後から声を掛けられ、口から心臓が飛び出る程びっくりした。振り返ると、黒下 乃亜が立っていた。

 「子供の頃、旧道で良く遊んだから」

 「ああ、そういう事。じゃあお願いしようかな」

 私は、若い娘さんと歩く格好になった。しまったなと思ったのは、意外と遠くて時間も夕方近くなってしまっていた事だ。さらに旧道は普段人や車も入らない為か、荒れ放題で歩きにくかった。悪路に閉口しながらも、突然、『それ』はあった。かび臭い真っ暗な開口部には水が溜まっており、とても中に入るのは勇気がいる作業だ。崩れかかったレンガ状の壁には、つる草が絡みつき、そして森の中に『トンネル』はあったので、夕方とはいえとても暗かった。

 私は持っていた懐中電灯を照らして、トンネル内を見た。すえたかび臭い匂いがする。乃亜に待っている様に促したが、着いて来るというので、トンネルの水の中へ足を踏み入れた。



魔女の刻印 3.夜の訪れ

 静かなる湖水の水分を多段に含んだ湿気は、いやがおうにも不快感さを呼び起こす。その感覚に負けないように、私と乃亜は闇のトンネルの中を進んだ。トンネル内の水はどんどん深くなり、はじめはジーンズの裾を折るぐらいで良かったが、さすがに腰まで水が来ると危険を感じ、それ以上は進めないと断念する。乃亜と半分程戻ったところで、朽ち果てた階段がトンネル上部に続いており、私は少し登ってみた。だがすぐ断念せざるを得なかった。腐った階段が私ごと崩れ落ちて、私は水の中に尻もちをついてしまった。

 「あいたたた。何だ、駄目か。乃亜クン、この上はどうなってるのかな?」

 「さー、ただ林になってただけだったと思いますけど、行って見ます?」

 「ああ、頼むよ」

 地上に出ると、夜気が気持ちよく、腰の辺りまでびしょ濡れで気持ち悪かったが、それでも救われた心地になった。トンネルをやや迂回する様に斜面を登り、成程、トンネルの上部はただ林になっているだけである。私はそこで重介の、『古いトンネルには気をつけろ』の意味を考えた。何かの暗号だろうか? 別に手の込んだ事ではないと思うが、乃亜が子供の頃ここで良く遊んだのなら、重介や瑠夏も一緒だったのでは? と気付かされ、私は乃亜の方を振り向いた。

 「重介クンの言わんとする『古いトンネルには気をつけろ』というのは、この場所を特定しておるのではなく、『きみ』の事を言ってるのじゃないか? だってほら、ここに金網が張ってあるだろ? そして貼り紙がしてある。『立ち入り禁止』と。ここできみたちは子供の頃ばかりでなく、大人になってからも遊んでいたんだ」

 「はい……?」

 私は、月影の中に浮かぶ乃亜が、酷く年老いた老婆の様な影をしているのに気が付き、蒼白になった。この娘は見た目よりも年を取っていて、実年齢は私より上なのではないか? と錯覚する。『古いトンネル』とは、空洞の様なこの女性のこころを揶揄(やゆ)した言葉で、文字通り、この女性の事を差していたのだ。それを証拠に彼女は私に絡みつき、むさぼる様に私の唇を吸って、ベルトに手をやりジッパーを下した。

 「乃亜、辞めなさい。その人は関係ない」

 私は、黒元 黒の存在に安堵した。しかしいつこの老人はここまで来たのだろう? ちょっと私は怖くなり、更に真の恐怖を覚える事になる。



魔女の刻印 45時の逃走

 「はあはあ……」

 私は漆黒の闇の森の中を走っていた。ヒヒヒ……と女は追いかけて来る。それはもう正気ではなかった。あきらかな殺意を込めて、森を追いかけて来る。

 「待ちなさい」

 その声はもはや若い女性の声ではなく、しわがれた老婆の声だ。しかし老婆にしては足が速い。体は若いが、中身は老婆といったところか? 私はあっと言う間に追いすがれ、乃亜にのしかかられた。乃亜は私を唇で塞ぎ、その動きと共に、私の力が抜けていく。顔はまだあどけなさの残る若い女性だが、その目は狂っていた。

 「ああああーッ!」

 衰弱した私は気を失った。もう何処にいるのかもわからなくなっていた。気が付くと、乃亜がタオルを水に浸して、私の汗を拭いていた。私はもうどうでも良くなり、乃亜も正気を戻しているのを悟った。

 「……どうして、きみは私を助ける?」

 「どうしてって、先生が一番私の事を理解してくれる気がして」

 「そう……。私は夢を見ていたのだろうか?」

 「そうかも知れませんね」

 そこにいるかも知れないと、黒下 黒の姿を探したが、見当たらないので、逆に恐怖を感じた。だがもう済んだ事だ。時計を見るともう5時を過ぎており、空がゆっくり白みかけていた。私は、湧き水で顔を洗い、口に水を含んでペッとはいた。朝日が森の中にサァーと入って来て、乃亜の顔を照らす。深い森の中での美しい朝の風景は、私のこころをくすぐった。



魔女の刻印 5.はかない空の色

 私と乃亜は、朝焼けの中の農道を歩いた。私はススキの穂を手に持ち、乃亜はあくびをしていた。空の色は、オレンジと朱色のグラデーションで彩られ、私たちはその中をただ散歩している様に歩く。

 その日、荒入 瑠夏も解放され、けっきょくこの事件は犯人もわからないまま終わった。私は知っているが、そんな事を警察に話しても相手にされないだろう。乃亜の入れてくれたコーヒーはこくがあって旨い。私はすっかりこの村が気に入り、年の差はあれど、乃亜を嫁に貰った。いや年の差などなく、その辺は私はしあわせなのかも知れない。黒下の屋敷にそのまま住んでいる私と乃亜は縁側に腰かけ、庭に揺れるコスモスの花を見ている。

 「あの日、先生は私が重介さんを殺したと思ってるかも知れないけど、おじいちゃんは私の事をすごく可愛がってくれて、重介さんと私の関係が続いてたのを知ってたの。そんな中で、重介さん、荒入さんと婚約して、やり切れない気持ちだったなあ。荒入さんは、私と重介さんの関係を知って、言い争いになったと思うの。そこへ……」

 縁側からの眺めは、風光明媚なこの土地の田園が広がり、黄金色に染まる畑の農耕具の置いてある手前の物干しで、洗濯物を干している黒下 黒の姿があった。その周りでコスモスが咲き乱れ、井戸で水を汲み金物のちょっとへこんだ洗面器で顔を洗うと、畑から白い煙がのぼり、私の鼻の穴をくすぐった。


                              ~おしまい~


魔女の刻印

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