チキンボーイ 1.

 

除菌ウェットティッシュでテーブルを拭きとった片瀬 茜(かたせ あかね) は、ゴミ箱に使用済みのウェットティッシュをほかる。ゴミ箱には紙くずや、昨日食べた魚の骨がほかってあり、ちょっと生臭い。今日から旅行へ出かけるので燃えるゴミは出しておかねばと茜はゴミ袋を縛ってゴミ集積場へあるいた。

 

 愛車のミニクーパーにトランクを積み込み、自分も乗り込むと、京都へ向けて発進した。エンジンの駆動音は良好で、流れの良い高速道路は、快適だった。途中、おしっこがしたくなり、サービスエリアに寄ることにした。

 

 トイレに入り、個室の扉を開けようとしたら、中に女の子がまだ座っていたので、「わッ!?」と叫んでしまった。

 

 「ご、ごごご、ごめんなさい!」

 

 「いえ」

 

 和式便所でお尻をこちらに向けたままの彼女はもう一度ふりむいて、

 

 「あの、閉めてもらえますか?」

 

 「はいっ! ごめんなさいっ!」

 

 あーびっくりしたと茜は、その場を離れた。だが自分の用足しがまだだったので、いそいで戻ると、ドシンと人にぶつかって尻もちをついてしまった。

 

 「あいたたた……あっ、さっきの人!  これは重ね重ねすみません。あっ! 血が出ています! これどうぞ」

 

  茜はポケットからハンカチを取り出したつもりだったが、おでこを拭いている相手の手にしているものを見て、またしてもギョッとした。

 

 「パンツですね。これ」

 

 「ヒャーッ!」

 

 北川 悦子という女性は、年を訊くと茜より3つ上の32才で、茜よりも落ち着いた女性だった。悦子の話では、ここまでの道中、彼氏と喧嘩になり、悦子が車を飛び出してしまった為、はぐれてしまったらしい。茜と悦子の目的地は一緒だという事で、京都まで彼女と一緒に行く事になった。

 

 「携帯はどうしたんですか? 彼氏の番号がわかるなら私の携帯貸しましょうか?」

 

 「それが携帯を車に置いて来てしまって、彼の番号は覚えにくい番号で」

 

 「ああ、そうなんだ。まーひとり旅も良いけど、良い連れ合いが出来て良かったです。あはは」

 

 茜がほんとにそんな事を思っているのか否かは別問題として、悦子もどこかぽや~んとした掴みどころのない女性だが、細身でわりと美人なのは、茜はちょっと悔しかった。茜はややぽっちゃりタイプで、菓子をぼりぼり食べながら運転していたが、悦子は、水筒に入れたコーヒーを流調に飲んでいる。

 

 西へ向かう車の中で、ふたりはお互いの生活の話や、『元カレ』の話などをした。茜は元カレと良く一緒に風呂に入ったし、飲みに行ってカラオケでバカ騒ぎしてたのしかったなどの話をし、悦子も今の彼と風呂に入り、悦子の身体を隅々まで洗ったりする几帳面な人などの話をした。それはちょっとやり過ぎでしょうと茜は爆笑した。

 

 「耳そうじまでしてくれるんですよ」

 

 「へー。私なんか、おならすると怒られたよ」

 

 想像すると笑えるが、茜も悦子も気付いてない事があった。

 

 

 

チキンボーイ 2

 

 「しかし悦子さん置いて行くなんて酷いですね」

 

 悦子は茜の問いかけにフンフンと頷いていたが、曇っていた空が西の方から晴れて来て、高速道路を走るバスやトラックの向こうにも日差しが落ちて来る様子をよろこんでいた。

 

 「茜さんはどうして彼氏さんと別れたの?」

 

 「いや~、それがいけすかん奴でね。最初は良いなあって思ってたんですけど、だんだん化けの皮が剝がれて来て、最後にはヒェーでしたよ。仕事は行かないわ。女は作るわ」

 

 「あーそれは酷いですね。私も最初は良いなあって思ってたんですけど、トイレくらいがまんしろ……ですよ。漏らしちゃったらそれこそ車汚しちゃうよね。そう言ったら怒っちゃって」

 

 「ああ~何か私もそういう事があったなあ~。置いてかれそうになったけど、がまんして、ちょっとちびっちゃたりなんかして。アッハッハッハ」

 

 ミニクーパーはトンネルに入る。トンネルの側面に取り付けられた白い照明が前から後ろへビュンビュン消えて行く。走行車線を走っていた茜をワンボックスカーやトラックが追い越して行く。トンネルを抜けると雨が降っていて、フロントガラスにバタバタと雨粒が叩きつけた。

 

 「通り雨だと思うもんで、時期晴れますよ。京都は晴れるって天気予報で言ってたから」

 

 「良かった。……もし彼と会えなかったら、一緒に観光しませんか?」

 

 サービスエリアに寄って、ラーメンセットをふたりで食べて、ガソリンも補給したところで、再び京都を目指す。天候は晴れで、多少渋滞はあったがすぐ高速は流れ、京都東インターで高速を降り、京都市街を走り抜け、無事ホテルに着いた。悦子のホテルは彼氏に任せてあったので、場所も詳しく知らないし、彼氏と連絡の取りようがなかったので、取り敢えず茜のホテルにチェックインした。

 

 しかし、いくら人の良い茜といえど、さすがに行きずりの女性と今晩泊まるのはちょっと嫌である。ここはひとつその『彼氏』さんを探し出して、悦子を引き渡そうと考えた。ここまで面倒を見てやったのだから、その辺で見限ってもバツは当たらないと思う。

 

 「……茜さん、もうここで良いですよ。私、彼のホテル探しますから」

 

 「えっ? だって、大丈夫ですか?」

 

 「何とかします。ここまで連れて来てくれてありがとうございました。元気でね。またどこかでお目にかかれたらうれしいです」

 

 そういって悦子は部屋を出て行った。どこか気のひける茜だったが、そこはもう彼女に任せて、自分は自分の旅をたのしむことにした。

 

 (……さとる。いまはどうしているかなあ?)

 

 取り敢えずお酒が飲みたくなり、ホテルの自動販売機で缶ビールを買う。100円玉をスリットに入れながら、太股の辺りが痒くなり、ぽりぽり掻いていると、向かいのエレベーターの扉が開いて、トランクを引いたおじさんが降りて来る。缶ビールの冷たさに、手の先が冷えた。夜が明ける頃、浴衣もはだけて酔っぱらって寝ていた自分を笑う。

 

 (よ! パソコンして良いかい?)

 

 (ダメだよ。まだ3時だよ。もっと寝た方が良いよ?)

 

朝ゴハンを食べたら、清水寺に行こうと思っている茜だった。ホテルの窓辺に朝日が指して来て、茜の顔を照らして行く。

 

 「……お風呂入ろうかなあ。ふあ~あ」

 

 机の向こうのかがみに浴衣を脱ぐ自分が映る。下着姿のままトランクの前にしゃがみ込み、新しいパンツと今日着る服を出す。そうしてあったかいお湯で身体を流すのだった。

 

 

 

チキンボーイ 3

 

春の京都は桜も咲いてきれいだ。混雑にちょっとへこたれながらも、お土産屋さんなどを見ながら、清水の坂をのぼる。混雑しているといっても、まだ朝早いので、これからもっと外国人観光客や学生さんたちで更に混んでくると思う。清水の舞台で一望できる景色をスマホのカメラに収めると、本殿でぱんぱん手を合わし、お願い事をして、お守りを買ったりする。

 

 昨夜、お腹出して寝ていた為か、腹の具合がわるくなり、トイレに駆け込む。下痢をしてしまいお尻を拭いているとガチャリと扉があいた。

 

 「うわあああッ!?」

 

 「えッ!! きゃーッ!」

 

 急いでお尻を拭いて、手を洗い、ハンカチで拭いて、固まっている男性をよけて外に出る。

 

 「……ちょっとあんた。こんなところで何やってんのよ」

 

 「えッ? ワタシ、シリマセン。ワタシ、通りすがりの外国人デス」

 

 男のほっぺたをつねり、足を踏ん付ける。

 

 「あいた!」

 

 「この大嘘つきめ! ここで会ったが百年目! ……どの様に料理されたいか言ってみろ」

 

 大内 悟は、にこにこしながらも、口辺は引きつっていた。パーマのかかったロン毛の髪に、半袖のダウンにカーキ色のチノパンを穿いていた。茜はケータイで清水の舞台からの眺めを写真に収めている悦子を確認し、彼女が悟の名前を呼びながらこちらへ来るので、すべてを悟った。

 

 「あんた、彼女の身体すみずみまで洗ってあげるんだって?」

 

 「エッ!?」

 

 茜は悟の耳を引っ張って、鼻息を荒げた。悦子が近くに来て、茜を見てハッと口に手を持って行った。

 

 「茜さんの元カレさんて、もしかして……この人?」

 

 「そうなりますね」

 

 わッ! と悟が泣き出して、清水の本殿の前で茜に土下座した。周りの観光客が気が付いて、くすくす笑っていた。

 

 「ずびばぜん! 私が、私が悪いんです! 悦子に手を出したばっかりに、茜を傷つける事になってしまって、ずびばぜん!」

 

 「ええい! 泣くな。良かったじゃないか、美人と付き合えて」

 

 悦子がそれは違うと茜を手で制して、

 

 「この人、茜さんの事が好きなんですよ」

 

 「でも一緒にお風呂入ってたんだよね」

 

 いやらしいと茜は悦子の身体をねめつける様に見て、ぺッ! とツバを床に吐いた。

 

 悦子は、ハンカチをポケットから取り出すと、スカートを押さえながら座り、境内に吐かれた茜のツバを拭き取ると茜に微笑んだ。そうしてお寺の古い木材の匂いと山の空気を胸をそらして肺に吸い込んだ。

 

 「茜さん。ほら、空気がこんなにきれい。あなたは困ってた私を助けてくれた。いまのあなたは怒りに満ちているけれど、やさしいこころを持っている。この人は私を選んでくれたけど、間違いなのは気付いてた。だから私はそっとしておく事にしたんです」

 

 「……

 

 「彼のこころには茜さんがいます。弱いこころゆえに、自分なりに自分と闘っていたのを私は知ってます。それは私にとっては辛いことかも知れないけれど、私との関係よりも、茜さんとたのしかった日々が、この人にとって、大切なものだったのではないでしょうか? 強がりではない本来の彼が求めるものは、私ではなく、茜さんです。なので茜さんと旅行した京都の旅へ私を誘ったのだと思います。いつも茜さんと泊まってたホテルをとるなんてことを彼がしなかったら、私はばったり廊下で彼と会うことがなかったでしょう」

 

 「……」

 

 

 ある夏の朝、茜は悟を連れて、悦子に菓子折りを持って礼をしに行った。悦子は笑って、彼女の部屋で氷の入った冷たい麦茶を入れてくれた。悟は茜の後ろにへばりつく様にしていたが、意を決したのか、悦子と笑顔で握手を交わした。

 

 「悟くんまた遊びにいらっしゃいな。今度は茜さんと一緒によ」

 

 「迷惑かけたね。いろいろありがとう」

 

 「ううん。私もうれしかったよ。もう喧嘩しちゃ駄目だよ。茜さんと仲良くね」

 

 悟は知らないが、悦子は東京に転勤が決まっていて、悟へ言えないでいたので、茜にそっと伝えて欲しいと頼んでいた。引っ越し先も業者も決まっていたので、悦子は新幹線で上京することになったいた。

 

 

 茜と悟は、ケンタッキー・フライド・チキンで、チキンを買い、公園のベンチに座っていた。パーマのロン毛をぽりぽり掻く悟は、茜の食べていたフライドチキンを食べた。

 

 「おいしいね、これ」

 

 「勝手に食うなッ!」

 

 ぼこ! と茜は丸めた週刊誌で悟の頭をはたいた。フライドチキンは悟の口から吐き出され、通りかかった犬が、チキンをくわえて歩いて行った。

 

 

 

チキンボーイ ~おしまい~




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