ボゾン 1.恒星間鉄道

 「失礼、お嬢さん。お一人ですか?」

 静かなピアノの旋律の流れる店内は薄暗く、淡い間接照明がカウンターに座る少女を彩る。黒っぽい服を着た少女は、カウンター席で梅酒を飲んでいた手を止めて男の方を見た。グラスを片手にした男は図体がでかい中年男だ。男はニヒルな笑いを浮かべる。

 「あなた腕は?」

 「お、いきなりだねぇ。まーこういっちゃなんだが、腕はたつぜ」

 「私と旅してくれるなら、あなたと寝てもいいわ。そのつもりだったんでしょ?」

 「はぁ? それはお安い御用だが、どちらまで行かれる?」

 少女は黒髪を手でかき上げて、

 「ボゾン」

 「ほう、そりゃまたずいぶん遠い星への旅行だな? いいぜ、その話のった。その前に嬢ちゃんの名前は?」

 「ガラム・フェイバー」

 「俺はギラン・アガンて言うんだ。よろしくな!」

 ギラン・アガンは、ニカリと笑うと、ガラム・フェイバーと握手を交わした。

 揺れる列車の中で、ウェイトレスの尻を眺めながら、食事を楽しんでいたギラン・アガンは、おもむろにワイングラスの紅玉たる酒をグイッと飲むと満足そうにゲップをした。ガラムは、尻の割れ目に食い込んだ下着をひっぱって治すと、ギランが食っていたオードブルをナイフとフォークを使ってぱくぱく食べ始めた。

 ……お前、結構早食いだな。早食いは、ダイエットには大敵だゾ」

 「ダイエットは、あなたの話でしょう?」

 「クチのわるい女だな」

 ……あなた、地球から来たの?」

 「いや、俺はボゾンの人間だ。嬢ちゃんこそ地球の人間じゃないかね? 嬢ちゃんの体からは、地球の匂いがするぜ」

 列車はトンネルの中に滑り込み、車内の灯りがトンネルの壁面でジグザグに激しく揺れる。

 「ボゾンへの交通手段として、転送装置が開発され、一瞬で星と星のあいだを行き来できるようになった時代。中にはそんなの味気ないと、こうやって鉄道によって星の海を渡る者もいる。まーこいつだってレールの上を滑走してるように感じるが、転送装置の応用でしかない、いわゆる鉄道バージョンの転送システムだ。それが恒星間鉄道であり、それを統括するマザー・コンピューターはボゾンにあるっていうからおもしろいじゃないかと俺は思うね」

 タタン、タタン、と流れる景色には、恒星間鉄道が見かけよりも早い超高速で亜空間を移動しているのが、スターダストの流れの速さでわかる。それでもボゾンにはおよそ1年かかるが、鉄道の中には風呂もついてるし食事もできる。Wi-Fiも完備されていてインターネットもできる。スポーツジムや喫茶店もあるから乗客が退屈しない様に作られている。

 遥か彼方の宇宙の巨大な人工天体『ボゾン』は、星々を呑み込みながら、地球に接近していた。人々はその破壊行動を止めようとさまざまな活動をしていたが、ついにその時は来てしまった。その重力震で揺れる宇宙は、ついにその動きを止めることはできなかった。



ボゾン 2.地球の話

 
灰色の空から、フロントガラスに雨が叩きつけ始めたと思うと、コーエンはクルマのシフトを入れ替え、さらにアクセルを踏み込んだ。夏の終わりを告げるこの国で、『台風』と呼ばれるものが、立て続けにやって来る。

 ハンドルを握る青年は、地球生まれの地球育ちで、背丈があって切れ長の妖しい目線はするどい。しかし彼は傍らの少女には優しかった。

  「人間の脳に酷似した機能を持つコンピューターは、知能も持つらしいけど、そんなモノに統括された星に住むってどんなかな? 政治も経済も交通も管理されて、ゆくゆくは思考まで管理されるのだろうか?」

 「人類は管理された方が良いのよ。だって一部の権力によって戦争になったり、地球を汚染したりするんだったら、すべてコンピューターに任せた方が、統一性もあって良いと思うの。それによってコントロールできるならベストじゃないかな?」

 「……きみは意外と恐ろしいこと言うね。つまりコンピューターの支配を受けた方が身の為ということかね」

 「そうよ。そして地球は新たな来訪者が来ても、ともに文明が歩めるわ。それはボゾンを造った人たちかも知れないし、地球をひらくことで滅びじゃない新しい歴史がはじまるかも知れない。それは受け入れるべきことなんじゃないかな?」

 黒のディアブロは、『日本』の高速を西へ飛ばしていた。バタバタと雨が車体に叩きつけ、遠くの空には軽く雷鳴もみえる。高速には一般車も多く走っているが、追い越し車線を走っていた一般車やトラックなどは、ディアブロが近づくとウィンカーを出して、道を譲る。

 「ハルは、火星で建造されたものだって言うけど、火星史にそう書かれているだけで、本当は太古からボゾンにあったって言うのは本当よ。それならボゾンが人工天体だっていうのだって、ちょっとは納得がいくんじゃないかしら?」

 ─崖の上の『黒い屋敷』の上を黒鳥が飛ぶ。崖の下は海で、屋敷は2階建ての洋館だ。灰色の空と屋敷の背景の枯れた庭木といいまるで吸血鬼か何かの館の様だ。館には、蔦が絡みつき、それが館の異様さを出していた。ガラムは開き戸をあけてバルコニーへ出た。バルコニーには白いテーブルと椅子が置いてあり、海が見晴らせるようになっていた。崖の下から潮騒の音が聞こえる。コーエンがワインの瓶と二つのグラスを手に、「一杯やるかい?」と聞いてきた。

 「きみがもし、ボゾンの破壊的行動を停めることができるただひとりの女の子だったとしたら、人々は放っておかないだろうね。でも、きみには自分たちの運命を託してみたい気持ちにはなるな。悲観などしない未来の選択を出来るとしたら、ボゾンを破壊するのが手っ取り早いのか? それとも地球が滅んだ方が早道なのか?」

 「あの赤い扉の部屋には何があるの?」

 「見たい?」

 ふたりは赤い部屋の朱色の扉の南京錠を開けて中に入った。そこには部屋の真ん中にフラスコと試験管が置かれていた。窓もない部屋には灯りひとつなかったが、そのフラスコの中でひかるものは、部屋を淡く照していた。

 「これは?」

 「地球の素さ。地球の素粒子は、地球の再生の上で必要なものさ」

 ボゾンが地球に衝突するのは避けられない。その事実を踏まえての研究は、このフラスコの中の『地球の素』ということらしい。元素まで破壊された地球は、素粒子からの再生で新たに生まれ変わると言うのがコーエンの持論だ。やがて来たる衝突の日に、地球の再生とはどんなものか? 楽しみだとコーエンは笑った。

 ─あれから3年が過ぎたが、地球へ接近するボゾンは、静かにその死と再生のシステムで、その重力の力場に更に多くの星々を吞み込んで来た。近年、地球には隕石群が落下し、都市を破壊していた。それによって世界は団結しようという試みがなされ、地球国家という新たな歴史の礎を築いた。だがそれは滅びの星には遅すぎた。



ボゾン 3.次の標的

 線路の高架下の汚い屋台で、ちくわにカラシをつけて食っていたギラン・アガンは、店のオヤジにもう一杯冷酒を注文した。香水の匂いにふりむくと、黒髪の女が立っていた。頭上の線路を列車が行き過ぎると、列車の風圧で、女の髪が揺れる。女はコートのポケットに手を突っ込んだまま、ギランのとなりの丸椅子に小ぶりな尻をのせて座り、ギランと同じ冷酒を注文した。

 「お暇ですか?」

 ……いや」

 ギランは、ガンモドキを食った。

 冷たい雪が暗い空から、チラチラと降って来た。そういえばこごえる様な夜だ。白い雪は、風で時おり女の髪や肩に降りかかり、体温で蒸発していく。おでんは相変わらずコトコト煮えているし、店のオヤジも黙ってキセルを吹かしている。

 ……おでん、好きなんですか?」

 ギランは女を一瞥すると、

 「まぁね、酒のつまみになるしょ」

 女は微笑むと、皿に盛られた良く煮えた大根を箸で突っついて口に入れた。

 「ボゾンってどんな星なのかなぁって、恒星間鉄道に乗って旅して来たんですけど、案外殺風景で何もないところなんですね。まぁ、ちょっとそこに魅力感じないでもないですけど」

 ……

 女は冷酒のグラスを揺らしたり、背中を掻いたりしながら、アレルギー持ちでクスリが欠かせない等の話をしながらギラン相手にほろ酔い気分でとても楽しそうだ。

 「あなたには、普通の男の人のような粗さは感じないの。それでいてなんだか懐は深いような。それにボゾンによって星々が消滅していくことなんてこれっぽっちも関心がないように思えるの。初対面なのにどうしてだろうね? 私があなたに恋したとかそんなことでもなくて、男女の比率さえも感じさせないあなたの魅力には、若い女の子だって放っておかないと思うの」

 「ハッハッハ! 良く喋るな、あんた。なかなかおもしろいよ」

 「そうでしょう? 私、良くおもしろい女って言われるの」

 ガタンガタンと揺れる列車の座席には、ギラン・アガンと〝アギのふたりしか乗っていなかった。

 「弟は、あれでも希望は最後まで捨てないと思います。私とは正反対ですね。この星、ボゾンとアギが衝突しても、アギは消えて、ただ忘れられていくだけ。良いことも汚れた過去もすべて消えるの。私はまんざらそれは嫌な事じゃない。あなたにはわかるかしら?」

 紅く染まり出した空には、もう既に時空も空間も湾曲して、歪みが生じ始めていた。恒星間鉄道の車内は軋み、窓硝子は雨に濡れた。〝アギは嗚咽するかのごとく、さいごの時を迎えようとしていた。

 ……その時には、苦しまないように、ひといきに私を殺して欲しいの」

 その日、惑星『アギ』は、ボゾンの重力に呑まれて消滅をした。



ボゾン 4.ハル

 黒い瘴気を含んだ風は、荒涼とした大地の上を通り抜け、ガラム・フェイバーの黒髪を揺らした。遠くカレン山脈の荒々しい姿の山頂の峰は白い雪に覆われ、その麓の溶岩石がモニュメントの様に林立する荒野には、ガラム・フェイバーとギラン・アガンの二人しかいなかった。

 「どうして私なんかと来てくれたの? ありがとうなんて言わないよ?」

 「俺もボゾンが恋しかったのさ」

 ギラン・アガンは、『ハル』とのコンタクトが始まったのを悟った。 草原の風は緩やかな気温の上昇を見せて、彼方に見える海岸線の波頭は静かに波打っている。そして静かにその時ははじまろうとしていた。

 「アギと寝た時、どうだった? 彼女は大人だった?」

 「アホ。あの娘は俺向きじゃねーよ。お前みたいなポーッとした女が俺にゃ適してる」

 「冗談。じゃあ、何で私がハルを好きなのを責めないの?」

 「わかんねぇな。わかんねぇけど、それでも良い感じはする」

 少女は背伸びをし、両手でギラン・アガンの頬に手を当て、唇を合わせた。ギラン・アガンはそれに答えた。ギラン・アガンは少女をボゾンの大地の草の上に寝かせ、股ぐらに手を伸ばした。少女は生温かい吐息を吐いてギランの腕に身を預けた。

 「……好きよ。ギラン……」

 腕をギランの背中に回した時、意識下で感覚したのは、ボゾンの起動パターンで、そのプログラミングは、『コンピューター・ハル』とリンクしていた。すべてが終わるのは、実はすべてのはじまりで、その行動に位置付けられた行為が、人類の新しいアダムとイブを助長するがごとく、風がやんだ頃、静かに物事ははじまろうとしていた。

 ゴゴゴ……と溶岩石の大地が割れ、砂塵のカーテンが開かれると、展開されていたドーム状のバリアーが解かれ、ゆっくり回転しながらせり上がってきた筒状の白いカプセルが露わになる。露出した装置の何重ものハッチが開いていき、その中に現れた白いノートパソコンには、無数のコードやケーブルが繋がれ、『NEC』と刻印されていた。

 「ハル……

 『コンピューター・ハル』にアカウントとパスワードを入力し、起動を始めたプログラムは、ボゾンシステムを発動させた。ボゾンの空には地球が迫り、赤黒く空は変容していた。

  地球とボゾンの接触は始まっていた。静かに崩壊していく地球。さらさら、さらさら、と崩れるように崩壊していく様子は、その大地に住んでいたものたちの存在を感じさせなくて、それに対してなんの気持ちもわかないのは、もどかしくもあった。地球の歴史や、人々の過去は、砂のように消えていく。地球がただの砂のかたまりになったときには、むしろ人々のこころは自由なんじゃないかな? とガラム・フェイバーは思った。機械しか愛せない彼女は、ハルの作ったサイボーグである〝ギラン・アガンに喜んで抱かれた。

 
「地球の再生を促すものは、地球そのもので、コンピューターじゃない。地球を再生するものはあらかじめボゾンのシステムに組み込まれたものだったの。だから地球は消滅した訳ではなくて、それを証拠に地球の素粒子は生きているわ。コーエンの言う通り、ボゾンは星々を自然の姿に戻していく天体。それが誰が作ったのかは、誰もわからないけどね」

 ─そして地球の再生が始まった。あたかもボゾンが生み出した地球の構造が多面構造になっても、太陽系の第3惑星であることに変わりはなかった。その大地でガラム・フェイバーは子を産み、砂の丘で風に吹かれながら、髪を右の耳にかけた。晴れ渡る砂の大地で深呼吸をして肺に空気を送り込むと、身体のすみずみまで、うまい空気で満たされた。


                              ~END


ボゾン
 



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